浮世絵で見る江戸・芝界隈

第7回 金杉橋芝浦

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:芝浦なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

謎かけといたずら心満載の一枚

蔵三さん、長〜い夏休みでしたね。おかげさまで読者の方から「いつ更新するんだ」っていうクレームがたくさん来てましたよ。

キミも嫌味なヤツだなぁ。夏はいろいろと忙しいんだよ。スイカ食ったりかき氷食ったり、プール行ったり盆踊り踊ったり…。

小学生じゃないんですから、ついでに昆虫採集とか言わないでくださいよ。


ワタシは虫は嫌いだからね。それにね、立派なオトナだから墓参りにも行きましたよ。こう見えて結構信心深いんだよ。そうそう、信心深いと言えばこの広重の絵(写真左)だ。キテレツな構図だけど、何を表してるかわかるかい?

旗とか傘とか、いろんなものがあるみたいだけど、何のことやらさっぱり…。


敢えて人を描かないのがいかにも広重らしいね。真ん中の赤い幟に「南妙法蓮華経」って書いてあるだろ。その上に井桁に橘の紋。これで日蓮宗だっていうことがわかる。

そう言えば前に聞いたわよね。ナムミョーホーレンゲキョーが日蓮宗かぁ。ナムアミダブツは何だったっけ?

だからさぁ、「南無阿弥陀仏」は浄土宗の念仏、「南無妙法蓮華経」が日蓮宗の題目、その両方を唱えるのが天台宗だって話したろ。日蓮は、法華経を釈迦の正しい教えとしていたから「南無妙法蓮華経」、つまり「法華経に帰依します」という題目をとなえることを重視していたんだ。

何回聴いてもピンとこないなぁ。



この連載は宗教がテーマじゃないからね。日蓮宗について詳しく説明するつもりはないよ。どっかの宗教団体からクレームが来ても困るし。

で、結局この行列はどこに向かっているの?



どこかへ向かっているのか、どこかへ行った帰りなのか、諸説あるんだけど、その「どこか」については池上本門寺に間違いない。いわゆる祖師参りだな。

えっ? 祖師参りって何?



祖師とは日蓮のことだよ。絵の右の方に赤い傘があって、そこに「身延山」って書いてあるだろ。これは甲斐国、つまり今の山梨県身延山にある日蓮宗の総本山、久遠寺のことだ。

じゃあ、日蓮さんをお参りに行くんだったら、山梨に行くのが本当なんじゃないの?


日蓮は鎌倉時代の1282年に病気のため常陸国、つまり今の茨城県に湯治に向かうんだけど、その途中、武蔵国で地頭だった武士、池上宗仲の館で息を引き取る。その館跡が今の本門寺なわけ。

なるほど〜。本門寺にはそういう由緒があったのね。五重塔(写真)なんかがあって、かねがね立派なお寺だとは思っていたけど…。


本門寺には日蓮を祀った「祖師堂(大堂)」があるからね。もともとあった建物は空襲で焼けちゃったけど、初代は加藤清正が建てて、2代目は将軍吉宗の寄進で建てられた。ちなみに境内にある小堀遠州作の庭園「松涛園」は、かつて西郷さんと勝海舟が江戸城無血開城を決めた場所なんだ。

なんかいろいろありそうなお寺なのね。



ついでに言っておくと、本殿に安置されている仁王像は若い頃のアントニオ猪木がモデルらしいよ。本門寺には力道山の墓もあるから、プロレスと縁のある寺でもあるんだ。

あはは。確かにいろいろあるわね。でも、基本的な質問だけど、この絵はどこを描いているの?

金杉橋だよ。今は埋め立てが進んでわからないけど、当時金杉橋は芝浦の河口にあったんだ。だから向こうに海が見えるだろ。下を流れる川は増上寺の時にも出てきた古川だ。

今の金杉橋の辺りって、屋形船がいっぱいよね。


江戸時代にはちょうど日本橋から東海道を一里、つまり4キロの地点に金杉橋があったから、一里塚があった。上方から江戸に来た人たちは、それを見てもうすぐ江戸に着くということで喜んだらしいよ。

そういえば、さっき行列が向かうのか戻るのか、諸説あるって言ってたわよね。


そうそう。絵を見ると、赤い幟の左側にてっぺんにひしゃくのついた奇妙な竿があるだろ。これは寺の手洗いで使うためのひしゃくと手ぬぐいで、寄進するためのものなんだ。

寄進するものがまだあるっていうことは、これから行くっていうことよね。


ところが、ほとんどの研究家は北へ向かっている、つまり帰路であるという説だった。寄進物の件は、構図上の都合であろうとね。ところが意外な人物がこの定説を覆すんだ。

意外って、どういう風に意外なの?



アメリカ人だよ。コロンビア大学で日本史の研究をしているヘンリー・スミス教授だ。教授の説では、行きの行列と帰りの行列が交差している図だということだ。

ははぁ〜。言われてみればそうかと思うけど、なかなか考えつかないわね…。


広重の絵には隠された謎がたくさんあるからね。ところで、左下に魚栄拝って書いてある手ぬぐいがたくさん下がっているだろ。この「魚栄」は何だと思う?

魚屋さんの屋号みたいだけど、魚屋さんは関係ないもんねぇ…。


ところが関係あるんだ。この「魚栄」は「魚屋の栄吉」の略だ。実は「魚栄」というのは広重の「江戸百」の版元、つまり出版社で、魚屋さんがベンチャーで始めたらしい。版元の屋号をそれとなく絵に忍び込ませるあたり、広重の遊び心を感じるじゃないか。
<おわり>


広重作「江戸自慢三十六興」より池上本門寺会式→
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